クルガン仮説は、1956年に提唱され、「印欧祖語は、起源前5千年紀に遡り、南ロシアのヴォルガ川近辺を原郷とする」説です。
アナトリア仮説と比べると、2000年程度、時代が下った時期に、起源が設定されています。
以下、Wikipedia>クルガン仮説より
クルガン仮説 (クルガンかせつ、Kurgan hypothesis) は、ロシア南部に存在した「クルガン文化」がインド・ヨーロッパ祖語の話し手であったとする仮説である。
1956年にマリヤ・ギンブタス Marija Gimbutas は、彼女の「クルガン仮説」を「クルガン考古学」と言語学を結びつけて、原インド・ヨーロッパ語を話す人々の起源に位置付けて提唱した。
「原郷 (Urheimat) 」と考えられている場所は、地図上は、ヴォルガ川の近くであって、最初に乗馬という習慣が発生したと考えられる場所とされている。そしてこれは、最初のインド・ヨーロッパ語族ないし先行インド・ヨーロッパ語族の核をなす民族の発生した紀元前5千年紀に対応するものと考えられている。
クルガン文化は、3回にわたって拡散していったようです。
- 第一の波は、(中略)ヴォルガ川下流域からドニエプル川流域にひろがった。(中略)民族移動が繰り返されることによって、東のかなたのヴォルガ川中流域に(中略)、遠くバルカン半島で生産された装飾品も発見され、馬の骨もよく発見されることから、交通手段として馬が使用された可能性を示唆している。
- 第二の波は、紀元前4千年紀中葉であり、(中略)高度な文化を紀元前3000年ごろまでにヨーロッパに持ち込み、その結果その地域では球状アンフォラ文化が発生、発展したと考えられる。球状アンフォラ文化はポーランド中南部を中心として中央ヨーロッパに広まった。(中略)インド・ヨーロッパ系の言語が中央ヨーロッパに入ってくる時期に対応している。
- 第三の波は、紀元前3000年から同2800年ごろであり、ヤムナ文化(竪穴墓文化)がステップを超えて拡大していく時期に当たる。竪穴墓がヨーロッパの一部で広まり、ルーマニア、ブルガリア、ハンガリー東部で現れる。
- 紀元前2900年ごろ、球状アンフォラ文化の中心部であるポーランド中南部で縄目文土器文化が発生し、(中略)紀元前2800年ごろには、(中略)西に遠く離れたポルトガル西端部で鐘状ビーカー(中略)が作られはじめ、この鐘状ビーカー文化(中略)は西ヨーロッパや南ヨーロッパの西部一帯に広まるとともに、縄目文土器文化や球状アンフォラ文化の広まっていた中央ヨーロッパの西部や南部にまで侵入した。これはケルト語派やイタリック語派など、ヨーロッパの南半で発展したインド・ヨーロッパ語族の諸語派の基層文化となったと考えられる。
語族の形成について、ギンブタスはつぎのように考えました。
球状アンフォラ文化は、第2の「原郷」であると考える。それが紀元前2300年前後にヨーロッパ中部及び南西部に広がる鐘状ビーカー文化と中・北欧に見られる縄目文土器文化に分離し、究極的にラテン人、ケルト人、スラヴ人、ゲルマン人など(そしておそらくバルト人も)になっていった。
まとめると、
- 紀元前5千年紀:印欧語族の原郷は南ロシアのヴォルガ川近辺(カザフスタンとの国境付近。ヴォルゴグラード(旧スターリングラード)の街が有名)
- 第一の拡散:ヴォルガ川下流域からドニエプル川流域に(ウクライナ方面に)。バルカン半島とも馬をつかって交流
- 第二の拡散:紀元前4千年紀中葉、ポーランド中南部で「球状アンフォラ文化」が発生、印欧語といっしょに、(紀元前3000年ごろまでに)中央ヨーロッパまで到達
- 第三の拡散①:紀元前2900年頃、ポーランド中南部で「縄目文土器文化」発生
- 第三の拡散②:紀元前2800年頃、ポルトガル西端部で「鐘状ビーカー文化」が発生、「球状アンフォラ文化圏」、「縄目文土器文化圏」に侵入。ケルト語派、イタリック語派などの基層文化に
- 紀元前2300年頃:ヨーロッパ中部・南西部の「鐘状ビーカー文化圏」と、中・北欧の「縄目文土器文化圏」に分離
そして、紀元前5千年紀の南ロシアを原郷とする印欧語族(クルガン文化の人々)は、軍事的な侵入によってヨーロッパに拡大し、母権制であった「古ヨーロッパ」を、家父長制に変えていったといいます。
ギンブタスは、クルガン文化の拡大を、純然たる悪意と軍事的な侵入によるものと考える。つまり、「古ヨーロッパ」の平和な母権制(女性の首長制)が、新たな戦士の文化を押し付けられることによって、家父長制に取って代わられるようになったというのである。この過程において、彼女は、防御性集落、丘陵上の砦、戦士としての族長の墓の出現を挙げる。
「(古ヨーロッパが)インド・ヨーロッパ化する過程は、物理的な転換ではなく、文化的なものであったが、この文化的転換は、新たな統治システムや侵入者の言語や宗教が土着の人々に強制されたことにおいて、軍事的な勝利と理解されなければならない。」と彼女は述べる。
後半生において、ギンブタスは、地中海世界の地母神信仰が、ゼウスの語源に見られるような言語的に軍事的性格を持つ雷神信仰に代るこの文化的転換がより暴力的に行なわれたことをますます強調するようになった。
クルガン仮説は、①言語学と②考古学の成果のハイブリッドといえますが、③遺伝子学によっても説明できるようです。
Y染色体ハプロタイプSNPマーカーR1a という特殊な遺伝的形質をもつ人々は、いくつかの点でクルガン文化と関連性がある。この遺伝的形質は、中央アジアから西アジア、インド、イラン、ヨーロッパ中部や東部のスラヴ人、ヨーロッパ北部のスカンジナヴィア人にもっとも頻繁に見られ、その周辺に向かってだんだんと稀になっていく特徴である。ヨーロッパで全般的にR1aが最も顕著に出る民族集団はスラヴ人、次いでスカンジナヴィア人(デンマークを除く)である。特に、先史時代に球状アンフォラ文化の中心地であったポーランドで顕著。スカンジナヴィアではノルウェーで顕著である。